#04

プロになり、自覚が芽生え、指導者に恵まれ

福島ユナイテッドFC 東隼也
ー 周囲の支えに感謝~仲間とのマッチアップは成長のよりどころでした

誰にも負けなかったかけっこ。ぶつかり合いでも負けた記憶がない。そんな恵まれた身体能力を持ってしても敵わない。幼少期にはレベルの高いライバルがたくさんいました。彼らとのマッチアップはレベルアップのチャンス。のちに頭角を現し、自分でも驚くほど順調に、プロサッカー選手としての階段を駆け上がっていったのは「彼らのおかげ」と謙虚に語ります。

中学時代の監督。徹底的に鍛えられたのは、サッカーの技術ではなく「メンタル」でした。監督が心配したのは「オドオド」した東選手の精神的未熟さ。「一から勉強してこい!」。優しさの裏返しでもある突き放すような言葉は、悩みや苦しみを味わうには十分。チームにどうやって貢献するのか?個人として何ができるのか?今まで考えもしなかった「協調性」。無意識レベルで刷り込まれ、のちに自身の「強み」になるとは当時知る由もありませんでした。

能力が高くて、ときにエゴイスティックな一面をのぞかせる周囲の選手たち。敵わないと思う反面、養われた「協調性」は期せずして、監督やコーチからの評価につながりました。ユースでは並みいるライバルを押しのけて1年から試合に出場。「なんで俺が?」と思うことも多々。3年になり、キャプテンに抜擢されたときも同様、自分自身に対する評価と、周囲の評価とのギャップに苦しむことになりました。声を出して引っ張っていくタイプではなく、だからこそチームとして結果がでないときは戸惑いも大きい。チームをまとめる立場として焦り、悩み、協調性を重んじる東選手のプレーは次第に粗雑になり始めていました。でもそんなときに心の支えになったのはチームメイトのサポート。自分の代わりに声を出してくれたり、言葉は交わさずとも伝わる信頼関係。監督が東選手をメンバーに入れるのも、キャプテンに任命するのもすべて、「協調性が周囲の信頼を生む」という唯一無二の、代替え不可能な彼の強みとして期待していたから。今考えるとそういう解釈もできなくもありません。

ー プロになり、自覚が芽生え、指導者に恵まれ

プロになり、普段の生活にも変化の兆し。食事や休養、ケガをしないためのケアに細心の注意を払うようになりました。トレーナーが親身に相談に乗ってくれるのも彼に対する信頼の証。いろんな知識を得て、プレーの質も徐々に変わってきました。尊敬する岩波選手(現・浦和)に追いつき、追い越したい。そんな秘めたる闘志がふつふつと伝わってきます。謙虚さの中に、プロフェッショナルに欠かせないある種のエゴが身に着いてきた証左でもあります。

影響を受けた指導者は「ネルシーニョさん」と即答。常に選手の言動に目を光らせ、選手にとっては「気の抜けない」監督。試合に出ることができなかった時期、平静を装ってはいたものの「目が違う」とたしなめられた経験は今も忘れることはありません。プロ初年度の「ギラギラした雰囲気」は影を潜め、そのことを敏感に察知して声をかけてくれました。直後に行われた試合では「今までにないぐらい強い気持ち」で挑み、気合が空回りして足をけいれんさせながらも最後まで気持ちを切らさずプレー。心境の変化を見逃さないネルシーニョ監督は、次の試合からサブメンバーに登録してくれました。どんな状況に陥ったとしても気持ちを切らさず、焦らず腐らず、今できることに集中する大切さに気づかされました。

ー 将来像~アピールと協調性のバランス

プロになれる人となれない人。その差は?という問いにしばらく考えた後、「自分のカラーを出すこと」と強い口調で答えてくれました。失敗を恐れず、自分の強みを前面に。「そもそも気づいてもらえなければはじまらない」といった信念は、「協調性」を重んじる東選手の強みとは相反するもののようにも思えます。「それはプロになった後」と言って続けてくれました。

「トップリーグで活躍する選手やチームには、自己主張と協調性が共存する。逆に、自己主張ばかりで他人の意見に耳を傾けられなければ、チームとしても選手としても大成しないのでは?」まるで自分が目指す将来像に照らし合わせるかのように語る東選手。「J1に復帰したい」という当面の目標も、プロセスの一部にすぎません。大学に進学した同年代の選手たちがプロの世界に足を踏み入れるタイミングに、身の引き締まる思いと、負けたくないという闘争心が今の彼を支えています。活躍を期して。

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