#05

何が起きてもプラスに、今後の糧に、
結果をどのように解釈するかによって
人生が大きく変わる

柏レイソル 井原正巳

毎日練習に通い、練習以外でも近くの神社でボールをけり続けた少年時代。サッカーであれ遊びであれ、「どんなことであってもとにかく負けるのが大嫌い」だったという井原さん。厳しいトレーニングも一生懸命に、黙々とこなすことができたのは、そんな性格によるところが大きいようです。気づいたころには誰よりも早く長距離を走りぬく体力が備わり、小学校の6年間、マラソン大会では一度も負けることはありませんでした。テクニックを志向する今と違って当時の練習はとにかくフィジカル重視。「あのとき今の指導を受けてたら…」と苦笑いを浮かべていらっしゃいましたが、そのとき培った無尽蔵に走り抜くことができる体力と気力が、のちのサッカー人生を好転させていくことになります。

選手権ベスト4の守山高校に進学。当時の高校時代のスーパースターは清水東高校の武田修宏選手でした。レベルの差を感じながらも少しでも追いつきたいという思いで日々努力したそうです。

プロサッカーリーグがなかったこともあり、将来を見据えて選択した進学先は筑波大学。初めて親元を離れ、サッカー、勉強、そしてアルバイトを始めることによって社会の仕組みや雰囲気を味わい、稼ぐことの大変さや、一人暮らしの難しさなど、人間的成長を得るには十分の環境が、一サッカー選手としての魅力をより一層際立たせることになりました。

「遊ぼうと思えば遊べる。勉強したい人は勉強ができる。」

徹底的にサッカーへ没頭するだけの時間的余裕が潤沢にあった大学生活。4回生になるころには、チームではキャプテンを務め、リーダーシップを発揮して組織を束ねて、一方で将来の人生設計を真剣に考え、他者のアドバイスも柔軟に取り入れながら、今後の生き方を考えるなど、模範的な大学生として社会に飛び立つ準備を粛々と積み上げてきました。

2回生のときに日本代表に選ばれていたこともあり、「サッカーで生きていく」という意識が徐々に芽生え始めた井原さん。就職した日産自動車では、非常勤嘱託職員という形で入社しました。「やれるだけやってダメだったらそのとき考えればいい」と、プロに近い立場で、当時最強と言われたチーム、メンバーに囲まれて頭角を現していきます。負けず嫌いの性格、フィジカル、長期的に計画できる力、リーダーシップなど、日本を代表する選手に成長していく過程で身につけた無形資産は数知れず。そしてもう一つ、強調するかのように語っていたのが【解釈力】でした。

「挫折?感じたことはありません。というか何が起きてもプラスに解釈できます。」という考え方が、結果が出ないときは「今後の糧に」と気持ちを切り替えさせ、モチベーションを落とすことなく目の前のやるべきことに取り組めたことが成長につながりました。

プロになれる人、なれない人の違い、を問われたとき、即座におっしゃっていたのが「プロになれなくても、プロ以外の道に進んだ方が、その子の人生がよくなることだってある」

プロになる、ならない、成功か失敗か。現状をどのようにとらえて、どのように解釈するかによって、サッカーや人生の結果が180度変わるのです。代表でポジションをDFに下げられたとき、「これが代表で生き残る道」という解釈ができ、前向きにプレーしたことが結果につながり、いつしか日本を代表する選手に成長されました。ずっとFWでプレーしてたら「今ごろ先生やってたんじゃないでしょうか」とも。指導者になった今、「色んなポジションを選手にチャレンジしてもらうようにしている」というのも、自身の経験がそうさせているのと同時に、未知の領域に足を踏み入れる勇気と、何事もプラスに変えていく【解釈力】を養うよう、選手たちに諭しているように思えます。

Jリーグが開幕。世界のそうそうたる名プレーヤーが集まり、対戦できた貴重な時間。刺激的な経験は、ドーハの悲劇を乗り越え、ワールドカップへの切符を始めて日本にもたらすことにつながりました。世間の厳しい目にさらされることをプラスに変え、キャプテンという重責も「自分ができることしかできない」と肩の力を抜き、むしろ周りの助けを借りながら世界の強豪国と伍して戦い続けました。そしてそれはほかならぬ、井原さんが持つ【解釈力】の賜物なのかもしれません。プロ化以前、社会人チームでの経験、代表で勝てなかった日々、そしてJリーグ黎明期の異常な盛り上がりとその後の低迷期。日本サッカー界における激動の時代を駆け抜けた井原さんが、目の前にあらわれるあらゆる現象を柔軟に、そしてプラスに解釈することができるようになったのは必然だったように思われます。

柏レイソルでヘッドコーチを。そして昨年まではアビスパ福岡で監督業に従事しました。監督の目線から見えるコーチのあり方。そしてコーチ目線から見えてくる監督像。立場が変わるごとに、それぞれの立場で獲得した経験を活かしながら、接し方、話し方など、相手を慮るコミュニケーション能力を深めてきました。同じ場所に安住することなく、身軽にキャリアを変容させることができるのも、現状をプラスに解釈し、行動することで成長が促されることを身をもって知っているから、ではないでしょうか。

東京オリンピック、そしてワールドカップで日本代表が飛躍するとき、その場所にはおそらく井原さんの姿があるはずです。J2優勝に向けて他の追随を許さない圧倒的強さを誇る柏レイソル。盤石なチームを支える井原ヘッドコーチの、これからの活躍に大いに期待するとともに、さらなる飛躍を確信することができました。

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