「責任」「プレッシャー」「ゴールセッティング」



アーセン・ヴェンゲル自伝 赤と白、わが人生

この日くり返し使われた、そして上梓した自伝でも登場するキーワードだ。2021年3月16日、アーセン・ヴェンゲル氏は出版記念記者会見に臨んだ。



日本のメディアや、サッカー大好き芸人ことペナルティの二人に見守られた会見。 話題は著書でも触れられていた日本と、日本サッカーの未来に焦点があてられた。 モナコやアーセナルといった欧州の強豪クラブで、数多くのタレントとともに戦い、修羅場をくぐり抜け、栄冠を獲得し続けたヴェンゲル氏。 「大きな責任を背負うことが心地よく、張りつめた空気とそれが持つパワーに惹かれた」と著書で記したとおり、重圧をポジティブに転換できることは、 成果を上げるうえで欠かせない能力であると力説した。往年の名選手、プラティニやジダン、アンリを例にあげ、難しい試合になればなるほど「あえて」パスを要求する姿勢は、 プレッシャーを力に変え、チームを勝利に導くリーダーに共通しているとして、日本サッカーの課題を示唆。 若い世代が欧州で経験を積み、チャンピオンズリーグに出場できる選手に育ったとき、レベルアップに欠かせないメンタルタフネスも身についているだろうと語った。 「言われたことは一字一句守るのだが、自発的に何かに挑戦することがない」という日本人の長所と短所を指摘。 重圧を楽しむ余裕があれば、「規律を守る」という長所を残しつつ、日本人選手が「のびのびと解放的に自分のプレーを繰り広げられる」ようになると本書に沿って説明してくれた。



話題は東京オリンピックへ。 「プレッシャーを恐れるな」と、げきを飛ばすような熱いメッセージは若手選手に届いただろうか? 本書の終盤、「優れた監督像」についてまとめたなかで「ストレスや他人の評価やプレッシャーに屈しない人物であり、何ごとにも動じず、 苦境に立たされたときでもそれから距離を置き、どっしりと構えていられる人物。」という一節がある。 プレッシャーはチャンスであると、この日も力を込めて話してくれた。結果が求められる重圧下で、責任あるプレーを要求されることは幸運であり特権、 そして「一生の宝」であると表現し、結果はどうであれ、すべては貴重な経験になると解釈できれば必ず成功できる。 そして五輪の経験はそのままカタールワールドカップへ。 オリンピックで途切れることなく、この経験を2022年に継承していく、もしくは同じメンバーで、A代表における最高峰の檜舞台を戦う準備と捉えるべきだと訴えた。



ヴェンゲル氏といえばもうひとつ、「無敗優勝」という栄光に触れずにはいられない。 英国・プレミアリーグという世界でも屈指のレベルを誇るサッカーリーグにおいて、一度も負けることなく優勝を果たしたクラブはアーセナルを置いてほかにない。 そして言うまでもなく、その最強クラブを率いたのはヴェンゲル氏である。 ヴェンゲル氏が渡英した当時、外国人監督は数えるほどしかおらず、成功を収めた例は皆無といえる状況だった。 「どこのアーセン?」と、アーセナル監督就任直後にその能力を疑問視するメディアが紙面で用いた見出し。 外国文化や慣習を尊重し、自分の価値観を一方的に押しつけない彼のポリシーがゆえに、自身のビジョンをクラブや選手に浸透させるまで一定の時間を要する。 ざわつく周囲を黙らせるまでに受けた計り知れない重圧。 先に書いたとおり、プレッシャーを力に変え、責任をチャンスだと解釈して、苦難を乗り越えた先に成し遂げた偉業は、いまだ破られることのない前人未到の快挙だ。



キャリア最高の栄誉は、「ゴールセッティング」の賜物であると説明してくれた。 「単に優勝するだけではなく、完璧な優勝を目指そう」と、クラブを強豪におしあげ、毎シーズン優勝候補にあげられるようになったときに設定した高いハードル。 チャレンジ1年目はうまくいかなかった。あきらめずに、選手に問いかけ、語り続け、選手にも、そして自らにも厳しいタスクを課す。 練習だけではなく私生活、食生活においても、さらにはメンタルトレーニングや心理学、医学など、昨今では当たり前になりつつある科学的なトレーニングを 先進的に導入して翌年の偉業につなげた。無敗優勝は「狙って達成した」ものだったことも驚きだが、「掲げたからこそできた」として、 高いゴールセッティングの重要性もこの日の会見で強調していた。



「監督である以上、最大の目標はリーグのタイトルを無敗で獲得することだと常に思っていた。 テストで90点をとって、クラスで1番の成績になれることもあるが、100点満点であれば2位の成績に甘んじることは不可能なのだから」



サッカー選手、監督だけではなく、ビジネスパーソンにとっても説得力のある、そして勇気を与えてくれる言葉の数々。 なかでも会見で述べられた「責任」「プレッシャー」「ゴールセッティング」というキーワードは、ヴェンゲル氏が一番伝えたかった、人生を豊かにするためのヒントだ。 本書の締めくくりはこうなっている。 「自由はみずからに課す規律の中に存在する。大事なのは子どもの心を失わず、夢を絶対に見失わないことである」



難しい世界に生きる私たち。 予測不能、複雑であいまいな社会をいかにして歩み、成果を残して人生を豊かにできるか? まるで北極星のように、水先案内人のごとく、私たちを明るい未来へ導いてくれるであろうヴェンゲル氏のメッセ―ジ。 サッカー関連図書として、またはビジネス書や啓発本としても、幅広い層に読んでいただきたい一冊です。


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