吉本興業がアーセン・ヴェンゲル氏とマネジメント契約締結!
- 2019/9/20更新
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吉本興業株式会社(本社:東京都新宿区 代表取締役社長 岡本昭彦)はこのたび、アーセン・ヴェンゲル氏と、日本国内におけるマネジメント契約を締結し、サポート業務を務めさせていただくことになりました。1995年にJリーグ・名古屋グランパスエイト(当時)で指揮をとり、天皇杯のタイトルを獲得した同氏は翌年、イングランド・プレミアリーグの名門クラブ、アーセナルFCの監督に就任。その後22年間の長きに亘って同クラブを率い、プレミアリーグ、FAカップ優勝など数々の栄光に輝きました。昨年、惜しまれつつ監督を退任。

一つ目は、自身のサッカー哲学を選手の個性に合わせて浸透させ、勝てるプレースタイルを確立すること。二つ目は、レギュラーの選手たちにベストパフォーマンスを出させると同時に、その他の選手やユース年代の若手たちの成長や育成に関心を寄せること。三つめは、マクロ的なビジョンをもってクラブのインフラに携わることです。99年にアーセナルの練習場を5億円で購入し、最先端の施設を作りました。多くの有名プレーヤーがそこで練習をしてきたという歴史が加わった今、施設の資産価値は当時の何倍にも達しているのではないでしょうか?スタジアムの移転、建設にも関わりました。450億円にも及ぶ新スタジアム建設費の減価償却によって、有能な選手の獲得がままならない時期もありましたが、アーセナルが持つすばらしい育成システムと優秀なスカウティングのおかげで、大きな問題に至ることはありませんでした。
明確に言えることは、ボスは監督だということ。GMでもなければ、フロントの上司でもありません。上下関係やプライドを無視してでも、監督が真のリーダーになるべきです。監督のビジョンがクラブの進むべき道を決めます。マンチェスターシティのグアルディオラ監督がいい例です。監督は、サッカーや戦術の枠を超えた、中長期的なビジョンを持たなければなりません。
移籍金や年俸が高騰している昨今、スタジアムは貴重な収入源になります。最先端の施設を備えるだけではなく、国民性、地域性、歴史や文化を反映させ、多くの人々に喜びをもたらすスタジアムを持つことが理想です。90分間の試合だけではなく、試合前と試合後にも、友達同士、家族で楽しめる環境を用意することや、治安や衛生面においても妥協してはなりません。
座席に座ってVRを楽しんだり、スタッツやリプレーが見れたり、サッカー観戦もようやくバーチャルの時代に突入しました。クラブや監督にとっても、衛星写真を活用した情報収集、大学と連携した取り組みも盛んになりました。科学技術の進歩が、今までは勘や経験に頼らざるを得なかった部分を可視化させ、監督の暗黙知だった確信を真に裏付けることになりました。誰が絶好調で、誰が不調だ、というジャーナリストのコメントをよく耳にしますが、スタッツなどの情報を参照すると、トップアスリートに好不調の波がほとんどないことが分かります。試合中の選手のミスは、監督の采配ミス。監督はすべての責任を負わなければなりませんが、数値を過剰に信頼するだけではなく、ときに監督の「即興」も大事ですね。
スポンサーは、企業哲学にマッチするクラブを選ばなければなりません。クラブとスポンサーは、互いの価値観に共感、賛同して初めて関係性が成り立ちます。投資する企業側にグローバルな目標設定があれば、スポーツは最高のビジネスツールになるはず。政財界にとっても、スポーツは目標達成に貢献するパワーを秘めています。
25年前、Jリーグの黎明期に自分がかかわれたことは光栄でした。日本サッカーは近年著しい進歩を遂げ、もはや世界に対する劣等感は見受けられません。球際の強さ、空中戦の競り合いなどの課題は残りますが、時間の問題、要は「慣れ」の問題です。ロシアワールドカップ、ベルギー戦では、立ち上がり60分間は圧巻でした。残り30分間は体力差が浮き彫りになり、ロスタイムのコーナーキックでの判断ミスもあって勝つことが出来ませんでしたが、あの試合も日本の課題を明らかにしてくれました。
日本人選手は、個人技、俊敏性、スタミナには問題ありませんが、7歳~11歳までの間に身につけるべき戦術的センスに物足りなさを感じています。現代サッカーでは判断のスピードが求められます。試合と同じシチュエーションでの技術、戦術トレーニングが必要でしょう。また、視野を広く持つためにも、フルスピードでハードコンタクトを受けながらいかに、止める、見る、蹴る技術を伸ばしていけるか、でしょうね。
10月24日には、ヨシモト∞ホール(渋谷)にて講演会を実施いたします。
講演会の詳細はこちら

アーセン・ヴェンゲル氏プロフィール
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国籍
- フランス
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生年月日
- 1949年10月22日(69歳)
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出身地
- ストラスブール
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監督歴
- 1981-1983(仏)RCストラスブール(ユース)
1983-1984(仏)カンヌ(アシスタントコーチ)
1984-1987(仏)ナンシー
1987-1994(仏)ASモナコ
1995-1996(日)名古屋グランパスエイト
1996-2018(英)アーセナルFC
主なクラブタイトル
ASモナコ
- 1回:
- リーグ・アン
- 2回:
- クプ・ドゥ・フランス
名古屋グランパスエイト
- 1回:
- 天皇杯
- 1回:
- FIJI XEROX SUPER CUP
アーセナルFC
- 3回:
- プレミアリーグ
- 7回:
- FAカップ
- 7回:
- FAコミュニティ・シールド
勲章/称号
- 2002
- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
- 2003
- 大英帝国四等勲爵士(OBE)
- 2004
- ロンドン・イズリントン区名誉区民
- 2018
- This Knight Grand Commander of the Humane Order of African Redemption
- 2019
- ローレウス世界スポーツ賞・生涯功労賞
個人受賞
- 1回:
- Jリーグ最優秀監督賞
- 4回:
- オンズドール年間最優秀監督賞
- 3回:
- プレミアリーグ年間最優秀監督
- 15回:
- プレミアリーグ月間最優秀監督
- 2回:
- LMA年間最優秀監督賞
- 2回:
- BBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー・監督賞
- 1回:
- ロンドン・フットボール・アワード ロンドンクラブ特別功労賞
- 1回:
- ワールドサッカー 世界最優秀監督賞
- 1回:
- FWAトリビュートアワード
- 1回:
- イングランドサッカー殿堂
- 1回:
- フランス・フットボール 年間最優秀フランス人監督賞
- 1回:
- IFFHS 十年紀世界最優秀監督
- 1回:
- Facebookプレミアリーグ年間最優秀監督
Je suis très heureux de revenir au Japon, vingt-cinq ans après ma victoire en Coupe de l’Empereur avec Nagoya, pour passer une belle semaine à la rencontre du football japonais et de sa grande famille. A très vite au Japon en Octobre !
名古屋グランパスを指揮して、天皇杯を獲得してから25年の月日が流れました。東京に戻ってきます。本当にうれしいです。日本サッカー界の皆さまに再会できることを今から心待ちにしています。今秋、日本で会いましょう!!